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つまり、相手に期待しないこと。

仕事でもプライベートでも、対人関係は切っても切り離せません。孤独を愛する人でも、一人で何かを完遂することは不可能。家に引きこもりの人でさえ、やむなく食料品を買いに出た際にはレジ打ちの人と対面します。

だからコミュニケーションなしに人は生きていけないわけですが。人間関係の構築度合いに多少の差はあれ、人は相手に「してほしいこと」の期待感を無意識のうちに抱いてしまいます。

ある程度、関係性のある会社の同僚や部下には「最低限のやり取り」だけで通じることもある。関係性がないコンビニのレジ打ちの人だって、袋入りますか? 要りません、のようなひとことは交わします。

場面によっては、これが通じないことがしばしば発生します。タスクが指示通りに行われなかったとか、Suica決済の装置の位置を間違ってしまったとか。

相手が分かっているし、自分も理解しているつもりでも、見事なまでに齟齬をきたすことは起こるもの。これらは、たいていの場合「なんでわからないかな」「なんでわかりやすく教えてくれないかな」というディスコミュニケーションで生じます。互いの勝手な言い分と思い込みなわけです。

自分が話者の場合、仮に相手に知識があったとしても、ことさら相手が興味を持った事柄でないかぎり、「相手には容易に伝わらないこと」を前提として話す。反対に自分が聴者の場合、相手の説明に「?」となる場面が必ず出てきますので、質問だらけになることもあるでしょう。

つまりは、前提条件の先入観なしに、まっさらの状態で話す聞く&聞くほうがストレスがたまりません。

翻って、話者は「これくらい話しておけばわかってくれるだろう」、聴者は「少し疑問があるけど、聴くまでもなく、説明された範囲でやっておこう」としてしまうと、蓋を開けたら手戻りだらけだった。世の中こんなことばかりというか、これがデフォルトですね。双方の勝手な思い込みや解釈で、すれ違いが生まれる。

そう、期待してるから、齟齬が発生するのです。

何も言葉のコミュニケーションだけでなくて、自損事故以外の交通事故から、暴力事件、買い物での注文取り違えまで、大小や深刻度にかかわらず、舌足らずな面から発生することがほとんどと言っていい。

だからうるさいくらいに細かく伝えたほうが良いんだけど、時間的な問題や伝達力&理解力の差ゆえ、溝がなくならない。

解決策としては「相手が全く分かっていない」前提で、平たく話すこと。相手が話を遮るようなら、復唱させてほんとに理解できているか確認すること。

そして、こちらのマインドとして相手に期待しないこと。このスタンスで、最近随分とストレスが減った気がします。30年もかかって、ようやく分かったことです。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性