先日このブログで「本の貸し借り」についてチラと書きました。貸した本は帰ってこないこと、興味のない相手に自分の「教義」を叩き込もうとしても無駄なこと、感想などなんらかのアウトプットを求めていたこと。これらについて触れた記事です。
全部、こちら側が勝手に抱いた期待なんですよね。小説なら暗に「わかるよね?」と相手に驚きと発見や感動を、実用書なら勉強になった旨を言ってきてほしい。これらは貸す側である自分のエゴなんだよな。
考えてみれば。これって本の貸し借りに限った話ではないのですよね。貸したものは返せよ。そうネチネチと、特に負の記憶ほど覚えているぼくですが、最も忘れないのは貸したお金ですね。高校時代に貸した1,000円のことすら未だに覚えていますから。
だから今はカネの貸し借りはしない。物の貸し借りもしない。義理を欠くだけでなく、後々面倒だからね。
ただしカネがらみでも、自分のために行っている自動引き落としの貯金や投資などは、小さく小さく行っています。脳みそのリソースを割かずに済みますし、多忙を理由に基本ほったらかし。というより、ふだんは意識すらない。
証券投資などは売買額によって常に勝ち負けが生じますが、ぼく自身は長期で保持しています。配当や企業応援の意味もありますが、キャピタルゲインを追求すると、期待感が増してしまい、下がった場合は売りどきを見誤ってしまう。
株価の上下動に一喜一憂せず、忘れてもいいやくらいに接して、取らぬ狸の皮算用にならないよう自戒する。なんでも求め、吸収しすぎは過呼吸になりまっせ。