アフィリエイト広告を利用しています。

病院でマスク着用を求められる違和感。

病院は社会の木鐸たれ、ってことなんでしょうか?

公の場でも、そのほとんどにおいて「個人の判断」に委ねられるようになったのに、病院だけは未だに何科にかかろうがマスクを着けろと判で押したように言われる。
黙って着用しますけどね。医者だから従うってわけじゃない。単純にめんどくせぇから。

ことマスクについては、残念な経過と言わざるを得ません。
最初は意味ない→うつらないから有益(でたらめ)→食事時も(おまけに黙食)移動時も(全然意味ないのに)、なんにせよ着用。

お願いとは建前ばかりで事実上強要する図式は、流行り病において顕在化しました。
とりあえず「やってる感」を出すためってのは、手前どもの悪癖でね。
マスク推奨はその典型でしょう。

個人的に空気は読むほうだし、読むのは得意。半面、読めない人が苦手ですが、こればっかりは各自の判断で良かった。
ここは後世、医科学的見地から是非とも検証してほしい。

反ワクチンでも反マスクでもありません。行った先々、入った先々のルールに従うのみ。
ただ、ワクチンにしてもマスクにしても、未だに盲信が根強いことに驚きを禁じ得ません。

医療の世界も経過ではなく結果が問われるはず。
結果がすべてというなら、なぜワクチンやマスクをきっちりする国民性をスルーして、6万人もの累計死者を出したのでしょう。

この対策は失敗だったと認めたら、まだスッキリするのに。
「謝ったら負け」みたいな人間は、個人的に最も忌み嫌う人種なので、未だ尾を引く流行り病の時世を教訓としたい今日このごろなのです。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性