常に理性を働かせ、冷静であり、論理的であれ。
こと仕事において、このような類を耳タコのように聞かされますし、自分自身もまた意識しているところです。
ベストセラーとなっているビジネス書でも、そんな旨を延々と説かれて久しい。
これらは「常に感情を押し殺せ」と背中合わせの意でもあります。
凡人が振る舞うべき礼儀礼節と言えなくもない。
仕事に感情は要らないという人がいて、それはそれで確かに正しい。
正しいのだけど、それロボットやAIと同じっすね。
大勢が参加する会議とかで、結論から先に述べ、論理的で、数字や5W2Hをもとに成果を発表し、先々のロードマップを立て板に水で説明する。
それができる人は確かに多いのだけど、こちらに全く伝えられない人もまた多い。
参加者(聴衆)が理解できるまでに及ばなければ、単なる弁舌巧みな人で終わりです。
だからといって感情にまかせろと言いたいのではなく。
ただ漫然と報告しているだけの会議は最小限に止めて、会議削減によって浮いた時間を、個々のタスクや余白時間に充てればいいじゃん、という話。
詰められないように資料作成し、建設的に見せかけて来週・来月の目標を述べて無難に終わる。
報告のための報告が幅を利かせている会議が生産的なわけがない。
でもね、理解はできる。
「会議しぐさ」が蔓延するのは、誰も止められないからね。
経営者や役職者ら、権限ある方々が「それをやりたがり、満足を得るため」なのだから。
スピーカーの情が入った発表のほうが、脳裏に焼き付く
個人的に、真にすごいと考えるスピーカー(発表者)は簡単で、
興味・関心のない人でも、惹きつける話をする人
です。
それができる人は究極、たとえ自慢話であっても面白いのですよ、いやほんと。
数字や規模感を聴衆に想像させながら、話ができる人が最強です。
と、ここまで書いて「そんな人がいたっけか?」と反芻したところ、たったひとりリアルで聴いた人がいたわ。
浅利慶太
その人ですね。
劇団四季の会社説明会に参加したとき、ほぼ劇団史と自分語りでしたが、あんなに面白い話はなかった。
感情不要論が横行するご時世には、合わないんだろうなー。
蛇足ながら。
以前、こんな記事を書いたのだけど。
今となってはウィル・スミスの気持ちはわからんでもない。
公衆の面前で愛する人を侮辱されて、感情的になるなとは酷な話。
怒るときは怒るべき、むしろ怒りの感情を忘れちゃいけない。