今日まぁたひとつ、齢を重ねてしまいました。
「お誕生日おめでとうございます」と言われて、ほんとうに虚無るしかない感じですけどね。
最近になって感じるのは、いかに「一生懸命に頑張る」と真逆に行けるかってこと。
- いかにラクするか
- いかに精神をすり減らさないか
- いかにやり過ごすか
こんなふうに、柳に風、糠に釘、ケセラセラでやっています。
いちばん大事なのはメンタル
どんなに仕事ができる人でも、優秀な人でも、周囲の評価が高い人でも。
人の心って案外もろいもの。
ストレス耐性って必要だけど、いつも70%以上でマトモに取り合っていたら疲弊するのは自明。
ストレスに対して出力を下げる。すなわち
- ハラスメントをまともに受け止めない
- 過酷な環境なら逃げる
- 合わない人と融和しようとしない
ってことが大事。
ぼく自身、こうやって今までテキトーにやり過ごしてきました。
「人生設計」なんてするから変になる
おっと、これは頑張りを否定するものではなく(ぼく自身は努力できない人間だけど)。
若いうち、特に20代はいろいろ頑張ったほうがいい。
その結果が良くも悪くも後々の自分に還ってきます。
いっぽうで、年をとればとるほど、行き当たりばったりが加速しました。
転職にせよ「ここダメだな」と判断した瞬間、次を決めずにさっさと辞めましたからね。
何の自慢にもならんけど。
ぼくの先輩に人事のプロから「きれいな職務経歴書」と褒められた、見事なキャリアの人がいるんだけど。
先輩のように職種と人生戦略がかみ合っている人のほうが稀でしょう。
よしんば「きれいな職歴書」を書けるキャリアであっても、それは後付けなんじゃないのかな。
○歳のときに何をして、何の資格を取って、どこそこに転職して……という一連のストーリーが最初から出来上がっている人なんてさ。
それでうまく行ったとしても、自分とその周辺に何が起こるかわかりません。
不慮の事故や事件に巻き込まれたり、災害に遭ったり、病に倒れたり。
あまり後先考えずに来た人間としては、「人間万事塞翁が馬」を無意識に貫いているくらいでちょうどいい。
つまりは自分の人生にも、自分にかかわる他人にも、過度な期待をしないってことですな。
やり過ごしていきまひょ。