聞くたびに違和感、自分が使うたびに考えてしまうことが多い敬語表現が「いただく」と「くださる」です。前者は「もらう」の謙譲語、後者は「くれる」の尊敬語です。これ、皆さん使い分けてます? 意識している人って、そうはいないのでは? でも、意外にも二つの使い方について気になる人はいるようで、「くださる いただく」でググると多数ヒットします。気になる人は検索してみてください。
ヒットしたページを読んでみると、「どちらも正しい」と答えているサイトがほとんどですね。でも、個人的に「いただく」と「くださる」には明確な用途の違いがあると思ってます。
たとえば
「〇〇にお越しいただきまして、ありがとうございます」
「〇〇にお越しくださいまして、ありがとうございます」
の場合。前者は依頼された側が「頼まれたから来た」のに対し、後者は依頼された側が「自らの意思で来た」ように感じられるのです(意味合いとしての正誤は置いといて、あくまで個人的な見解です)。
そのように感じる理由は2点あります。ひとつは「〜させていただく」という謙譲表現が、ともすれば恩着せがましく聴こえてしまいがちだから。もうひとつは、他者への頼みごとの際、それがたとえ命令に近い指示であっても、今の時代は婉曲にへりくだる依頼表現が好まれるから。
誰かにお願いする場合(あるいは指示する場合)、「〜してください」ではなく、「〜していただけますか?」と最大限トーンを和らげる。そうでしょ?
なぜ、ここまで言い方が柔らかくなるのか。これは組織や社会においてフラット化の進行、年功序列の崩壊や、多様性の尊重といった「正の側面」の表れなのかもしれないという考えに至りました。
多様なバックボーンをもつ人が集う組織社会では、年齢や立場をもとにした上下関係といった、旧来の価値観をもとにした絶対はないのだ、と。「いただけますか?」が定着したのは、その証左といえます。この下手に出る言い方には、相手に言い分や反証余地を与え、「私はあなたの意見を聴く人間です」という、円滑なコミュニケーションを築くサインが隠されているのです。
……と、ここまで書いて、正直「何もそこまで」と思うのです。言うも言われるも、個人的には「〜してください」のほうが、スッキリ歯切れも良い。でもね、相手との関係性にも寄りますので一概に言えませんが、実際に使うのは止しといた無難でしょうね。「上から目線で高圧的」と受け取られたら、それまでですから。
多様性の進化で、言葉は不自由になっていますね。ま、これも変化の一端なのだと、良く解釈することにします。