20年以上も前の、ある雑誌のインタビュー記事で。テレビ局の著名なベテラン演出家の、「良い俳優とは?」という問いに対する答えが振るっていたのを今でもよく思い出します。
曰く「口ごたえしないやつ」と。
当時かなり衝撃的で反発さえ覚えたものですが、自分がトシをとってみて、なんとなく分かるんですよね。この言葉の真意が。
演出家や映画監督は、作品の仕上がりが見えている人。たとえが変ですが、同じ監督でも野球の場合は、会社組織の管理者に近い。英語にするとより明確で、野球の監督はマネジャーだけど、映画監督はディレクター。この違いは、差というより、職域・職種の違いの明確な一線という気がします。
ちなみに上記の演出家は、自分がディレクターと呼ばれることを嫌っている人。「演出家」という呼称が良いと同じインタビューで話しています。
映画における監督の責任は重い。映画のメインタイトルの最初、もしくは最後に出てくるのは監督の名前です。監督が指図するスタッフや俳優は、その作品のために仕事する駒にすぎない。
とまぁ、「駒」は言い過ぎか。俳優は作品を目に見えるカタチにする役割であり、出た出ないで作品の興収を左右する存在でもあります。
その俳優に対して、「口ごたえしないヤツ」とはすごい横柄なようにも聞こえます。企画、ビジネス面を担うプロデューサーがある意味、撮影に入れば着地点をマネージメントしていくのに対し、監督は仕上がりに責任を負わなければなりません。
だから製作過程において、監督である自分が練った演出プランに意見してくる俳優なんざ、「うるせー」となるのでしょう。
あらゆる人には立場、役割ってものがある。俳優の意見を取り入れる監督の話はよく聞きますが、それはそれで柔軟でいいなと思います。
組織においてもそう。ボトムアップで広く意見を取り入れる風土の組織は、それはそれで良い。一方で、上司や先輩になんでも反発する、不満ばかり言う人の話を聞きますが、これは良くない。
盲目的に話を聞けというのではなく、組織の一員として方針に則って、仕事するときは仕事し、よりよい建設的な意見も言う。半面、災いが降りかからないよう立ち回る。「うまくやる」とは、そういうことじゃないかな。
不満は誰の中にもあるもの。それを少しずつでも満足へ、より良い方向に昇華させるために動かなくちゃ。そういうおまえは言われたら言われっぱなしなのかって? 大したことでなし、柳に風とやり過ごすんですよ。