アフィリエイト広告を利用しています。

自撮りが簡単にできる時代、写真の意味を考えた。

突然ですが、「自撮り」ってします?
ぼく個人することは皆無で、あのスマホを横に向けて、器用に片手でボタンを押す光景には、いつも不思議な感じがします。

友達や恋人と愛情を確かめる、イベント参加を記念する、単純に気が向いた……などなど、撮影の機会はいろいろでしょうけど。
そんなにツーショットやグループショットって撮りたいもんかいなと。
基本グループショットでもツーショットでも、スリーショットで真ん中にいようといまいと、あんま写りたくないんですよね。

集まりとかで参加者一同が記念撮影する場面でも、わざわざ後方や端っこに移動して、なるだけベストポジションから遠く離れたところをキープ。
ある会合では咄嗟に頭を下げて、写真に入らないようにしたくらいです。
それくらい自分の写真には抵抗があります。
抵抗があるから、たまに更新する履歴書の写真などは、少しでも自分をよく見せようと伊勢丹写真室などで撮影してしまうわけですが。

ここまで書いて分かりました。
たぶん過剰な自意識ゆえ、写真は撮られたくない、撮らせたくないのでしょうね。

その点、若い人はセルフィーに恥もてらいもない。
SNSをフツーに使いこなすデジタルネイティブ世代は、中年がかつてカメラを持ち歩いてパシャパシャやった代わりに、スマホでパシャパシャやる。
そしてすぐさま共有する。SNSにアップする。
何のことはない、ツールがアップデートされただけなんだな。

若い人が自撮りする風景を見ると、「意外に自己肯定感が高い人が多いんだな」などととらえていた自分の勘違い。
そんな大げさなものではない。
生きづらさとか多様性とか価値観の枝葉が細分化される今の若い人は、大変だと勝手に決めつけていた自分が浅薄。

ただし、紙に現像するよりも写真が身近になった分、保存したくない写真も簡単に消去される。
下手にネットにUPすればデジタルタトゥーになる危険性も一方でははらんでいる。

フィルムカメラで撮影し、それを現像に出して写真に表すプロセスに象徴される、写真時代。
写真が極めてパーソナルなものだった昔。写真は「画像」と名称を変えて呼ばれ、簡単に共有し、拡散される今。

ブログ記事用の写真を撮れる今を否定するわけでは当然ないのですが、正直、アルバムをめくってよみがえる思い出は好きですね。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性