先週、ある男性が「挨拶をしない自由もある」とアベプラで主張し、炎上したことについて。
動画を見ましたが、個人的に感じたのは「もったいないなぁ」と。
男性の言うことは、まぁわからないでもない。
かつてのぼく自身、紙媒体の編集をやっていたときは連日ケツカッチン。
「くそだりぃ」と内心毒づきながら、出勤して「おはようございまぁす」と誰にともなく挨拶していた時代を思い出しました。
でもね、挨拶のキモって、礼儀作法とか社会人として最低限のマナーとかよりも。
「私はあなたの敵ではない」「最低限度の社会性のある人間ですよ」ということを、さりげなく表明することなんですよ。
これをしない(できない)人は、したがって他人に敵とみなされても仕方ない。
手間をかけずに平和なコミュニケーションを構築できるのだから、やらない手はないのです。
確かに挨拶しないのは自由だけど、不利益被って泣きを見るのもまた自己責任って言われちゃうぜ。
本件炎上するほどのことかいな、と思いつつも、その辺がつくづく「もったいなぁ」と。
アベプラが挨拶文化を特集
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番組に出演した月々氏(@tkdk_moon)が『職場での挨拶は絶対に必要か?挨拶をしない自由もあるのでは?』と主張
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「職場で挨拶しないとか論外だろ」とXで炎上
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月々氏の過去ツイから「女性への暴力やレイプは軽罰化すべき」などパンチ強めの投稿が多数見つかる(今ここ) pic.twitter.com/NKrZHkjuAw— 滝沢ガレソ (@tkzwgrs) June 9, 2024
確かに挨拶しない人が多くなった
自分の暮らすマンションでも、たいてい挨拶する人は決まっていて、挨拶しても頑なに返さない人はいます。
別に構わんけど、これも損するだけなんだけどなぁ。
いざというとき困るだけさね、自分が。
階上の住人が水漏れさせてきたときも、ただのひとことも詫びがない。
加害者が持ち家か賃貸かは関係なく、人間性の問題です。
さらに言えば挨拶できない子どもも目立つ。
目を逸らしたり、端から無視を決め込んだりしているのは、親の程度なんでしょうな。
「物騒なんだから知らない人に付いて行ったり、話したりしてはダメ」とか言われてるんだろうけど、せめて近所の人間には挨拶くらいしといたほうがいいよ、ほんと。
それすら教えられない親のもとで育てられた子どもは、ある意味不憫。
自分がお金を払う側なら、なおさら意識すべし
少し前に「外食店で”ごちそうさま”を言うヤツはおかしい」という内容のツイートだかが、確か話題になりませんでしたっけ?
お金を払っている客がなぜそんなことを言わなきゃいかんの、という主旨だったような。
この理屈をこねる人は、裏を返せば「カネを払えば何してもOK」と言うのと同じで、まさにカスハラ予備軍の傲慢さが表れている。
挨拶できる・できない以前の、貧困なる精神。これまでもこれからも人生ハードモード。かわいそうに。
ぼくは夜、ひとり飲みに行くことが多いですが、伺った先では必ず「どーも」とか「こんばんは」とか、必ず言いますよ。
束の間とはいえ席を、居場所を、ひとつ借りるわけですから。
とにかくね、悪いことは言わない。挨拶を渋るなんてシワいことはしないほうがいいです。
精神の懐まで貧しくなっていくだけよ。