今日は少し仕事の話。生成AIの、とあるプロンプトセミナーでマーケティング自動化支援ツールの紹介があり、より詳しく説明いただけるとのことで、ミーティングに参加しました。
「商品情報を入力するだけで、ペルソナ分析からキャッチコピー、キャンペーン企画案、SEO記事まで自動出力する」というツールで、ひじょうに画期的であり、少なくともぼくにとっては空恐ろしいプロダクトです。いやはや凄い時代だわ。
とはいえ「中の人」との対話は創造的かつ刺激に満ちていてで、これからどう展開していくかという未来図の話も、こちらのほうがワクワク。もともと優秀な人たちでしょうけど、何より好きでやっているのが伝わってくるのが楽しい。
いっぽうで。いよいよ生成AIを活用しつつ独自性を打ち出せるライターと、そうでないライターとの差が決定的になりそうだな、と。
AIの精度が格段に上がり、人が書いたように見せられたら(すでにChat-GPT4でも使い方次第でできてしまっていますが)、もはや「誰が書いたのか」という作家性や著作権人格権などは、有名無実化してしまうかもしれん。
ぼくのようにブログを持っているだけの人間などは学習されたところでたかが知れていますが。超有名な小説家や脚本家、構成作家、コピーライターなどの特徴をミックスされて出力してみたら巧妙なパクリ作品の一丁上がり、みたいなね。
腕のいい同人界隈の作家さんの中には、AIによる記憶学習を嫌がって、イーロン・マスクのTwitterから撤収しようとしている人がいるとも聞きます。
AIに本来やってほしい仕事を振れない現実
しかし問題はそこではなくて。
AIには本来、人間がやらなくてもいい仕事を任せて、人間が多少は楽に生きやすくなるのがAI社会の理想郷だったのでは? でも、どうも様子が違う。
AIに本来任せたい仕事とはクレーム対応とか、簡単な書類整理とか。ブルシットジョブも含むものじゃないですか? 広義ではレジ打ちもそう。スーパーやコンビニではどんどんセルフレジが侵食してるもんね。
ところが現状はレギュラーな対応をAIに任せたのにイレギュラーが生じてエラーが出てしまい、その尻拭いを人間がする。
もっと言うと、本来人間がやるべき仕事までAIが進出して(というか人間が自分の意思で進出させ)、これを受けて人間は生産性をエンドレスで上げることに血道を上げている。
AIが想像以上に出来がいいので、いつのまにか今までやっていた仕事もAIに振るようになり、その分空いたバッファで楽できるかというとそうではなく、別の仕事が降ってくる。
楽できるどころか、むしろ永遠に終わらないラットレースに強制参加させられているみたい。でもこれこそが、右肩上がりの成長が求められる資本主義の現実ですな。
要するに人間は全然幸せになっていない。
それどころかAIを使いこなす・使いこなせないで、出来不出来を判定される差別要因にすらなっている。
確かに「テクノロジーの進歩は必ずしも人を幸福にしない」とは常套句であり、今に始まったことではないですが。産業革命よりも以前の歴史をひもとけば、歴史は繰り返すものなのだといささかゲンナリします。
最大限適応しているように見せて、こうやって内心ぼやいているという……。
そんなヒマがあるならさっさとChat-GPTに出力してもらって、次また次に行けってか。やれやれ。