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【演劇】『フェルディドゥルケ』:ままならない渇望こそ人生。

【演劇】『フェルディドゥルケ』

赤井康弘さん構成・演出・美術、サイマル演劇団+コニエレニによる芝居『フェルディドゥルケ』鑑賞(2024年7月13日14時公演/会場:サブテレニアン)。
個人的に久しぶりに見る小劇場で、これまた唐組のテント芝居以来久しぶりに見る前衛劇。圧倒的なセリフの量に裏打ちされた濃密な65分でした。

ポーランドの国民的作家ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ生誕120周年記念公演で、その同名代表作を舞台化。5人の女優陣がステージを出ずっぱりで苛烈なセリフ劇を展開します。
原作と原作者はおろかポーランド文学も知らない状態で観たのですが、正直物語が全然わからず。
ですが、前半15分で理解しました。理解しようとするから理解できないのだ、と。自分でとらえるこの感覚、いいな。

というわけで、女優陣の動きと呼応するセリフ、セリフを説いていない女優も含め全体を俯瞰するイメージで観ることに。
無いようである、あるようで無いような物語。

運動会の校庭のように架空の万国旗を張り巡らした天井に、セットはジュータンと洋式便器(!)ひとつ。

30歳の青年がいきなりギムナジウム(大学進学を前提とした9年制の中学校)に放り込まれ、そこで周りの生徒たちとともに授業を受けるのが、どうやら物語の大筋。
赤井さんの挨拶文によると、本作は「秩序の忌避」であり、ゴンブローヴィッチは「成熟の否定」とも言っていて、それらは「西洋近代主義への批判であり、ナショナリズムへの批判も含まれている」と。

ぼくが観るに、ここで巻き起こる人間関係は、煩悩の表出であり、精神的インフルエンザであり、ままならない渇望であり、これらが身体動作と口角泡の飛ばし合いで表現されているのだな、と。
同時にこれは敷かれたものへの抵抗、既定路線の打破、ひいては体制へのささやかな反撃と捉えました。

「私の心の中の玉座が失われた」「本当にえらい人は、自分のことをえらいと思っていない人」など、セリフの細粒にキラリと光るフレーズが。
かと思えば、「おしり! おしり! ふくらはぎ! ふくらはぎ!」のようなフェチ全開不意打ちユニゾンもあって、この緩急こそ演劇だよなと。
女優陣がさすがのプロ魂で駆け抜けるノンストップの一幕劇。
その熱量に、体制批判に圧倒されながら、「わかりやすさ」に寄りすぎな自分の通俗性に心痛す。
体制批判ってのは、人間の深層心理なんてのは、そんなわかりやすさからはほど遠いもんなのだ、本当は。

2024年10月にポーランド公演も行うそうで、本国の方がどう反応されるのかを知りたいところです。

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hiroki「酒と共感の日々」

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