『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝著/草思社)という本が刊行されたのが2001年。題名の通り、日本語の美文名文を紹介する本で、当時ベストセラーになりました。
名著から語句や一文をハイライトする本が脚光を浴びることのメリットは、古典の魅力再発見につながること。一方で、この事象のポイントは、本に触れる機会が激減していることの表れではないでしょうか。
読書機会が減ったことで、本来なら誰もが知っていそうな名文でも、こうして改めて紹介されないと気づかされない、浸透しない。
発行から20年以上経った今も変わりません。それどころかますます読書率が低下しているわけで。
クロス・マーケティング社が2023年に全国20歳~69歳の男女を対象に行った「読書に関する調査」によると、半年に1冊以上の本を読む人の割合は52%との結果が出ています。
半年に1冊読めるかどうか(!)なのです。
いかにネットやSNSによってあらゆる情報に触れる機会が多くとも、その場その場で消費されるだけ。とりあえず問題解決できればブラウザバックして終わり。もっと便利に、もっと早く、実になる情報を。
こうしてファスト教養とかタイパとか、中身インスタントな現象がはびこる。
で、先日も語彙力を高めるための本が紹介されていた下記の記事をパッと読んだのですが、一例に挙げられた語句がさすがにしらけるというか、無理があるなぁと。
曰く、「毎日暑いですね」の言い換え表現で、複数挙げられているなか、もひとつ。
「蝉時雨が愛おしく感じられます」
なんていう一言も素敵です。
と。
うん、確かにすてきです。この点は完全同意。
ただしこの手の風流、雅な表現は使う人を選びますよ。
ふだんぞんざいで、べらんめえ口調の人が突然こんなことを言ってきたら「ん、どした?」って驚くでしょ。
古典落語の世界ではおなじみで、たとえば習いたての美辞麗句を突然使い出した与太郎の場面は笑いどころなわけです(たいてい上手く言えないでドジる)。
会話も文章も、借り物の言葉を使っても説得力がない。すぐに周囲にばれます。
だから使うなと言いたいわけではなく、本人の口からパッと違和感なく出てくるくらいでないと、うわっ滑りになるよ、と。
なぜなら「血肉になっていないから」。
血肉にする(=理解し身につけ、自分のものにする)ためには、マニュアル本から仕入れるのではなく、やはり読書から得るものが大きいはずです。
それも原典にあたる。
そうしていくうちに、やみくもに使うのではなく、前後の文脈などから自然と口に出てきて、初めて聴いている周りも腑落ちする。
なんでも簡単に成果を得ようとすると、かえって自分を下げまっせという自戒を込めた話でした。
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