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詩人としての己を望んだ芥川龍之介の一面を垣間見る

田端文士村記念館の企画展『龍之介・犀星のもとに集った詩人~「詩のみやこ」から100年』

田端文士村記念館の企画展『龍之介・犀星のもとに集った詩人~「詩のみやこ」から100年』(2025年6月7日~同年9月13日)開催最終日に訪問してきました。

企画展は萩原朔太郎の田端転入から100年を記念し、同時期に田端に住まった芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎、堀辰雄らの詩作や交友関係を紹介するもの。
芥川が友達の佐藤春夫に「田端に萩原朔太郎来り、田端大いに詩的なり」と伝えた手紙とか、未発表の自筆詩集などが公開されていました。

展示の中で最も意外だったのは、芥川の『小説作法十則』(1927)で繙かれていた冒頭のこの一説。

小説はあらゆる文芸中、最も非芸術的なるものと心得べし。文芸中の文芸は詩あるのみ。即ち小説は小説中の詩により、文芸の中に列するに過ぎず。

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詩は芸術で、小説は非芸術ってか!
言わんとしていることは分からんでもないが、偏りすぎではないかい、芥川さん。
でも朔太郎や犀星を芥川が好いていたのは、詩才への羨望があったのもひとつかもしれません。ないものねだり。

朔太郎は実際、芥川の詩人としての側面について『芥川龍之介の死』(1927)で振り返っています。

けれども自分は、依然として尚芥川君の「詩」に懷疑を抱いてゐた。けだし芥川君は――自分の見る所によれば――實に詩を熱情する所の、典型的な小説家にすぎなかつたから。
換言すれば、彼自身は詩人でなく、しかも詩人にならうとして努力する所の、別の文學者的範疇に屬してゐるのだ。
實に詩人といふためには、彼の作品は(その二三のものを除いて)あまりに客觀的、合理觀的、非情熱的、常識主義的でありすぎる。

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要するに頭がよすぎるゆえに、詩人になりきれなかったというわけです。

これを書いているワシは頭がいい人に常々羨望がありますが、あまりに切れすぎるのもかえってツライかもしれないね。
天才であるがゆえの苦悩、凡人には思いもつかないなぁ。

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hiroki「酒と共感の日々」

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