照れ隠しもあるのかもしれない。「コーヒーでいいよ」とか「ついででいいよ」とか、よく「で、いい」というフレーズが使われます。
これって、不満や我慢が内側にあると、とれなくもないんですよね。
「コーヒーでいいよ(他に飲みたいものがないし)」
「ついで、でいいよ(駆けつけてほしいけど)」
つまり、ほんとうは第一希望があるんだけど、それを隠した状態。あるいは気遣いの婉曲的な表現ともいえます。日本人らしいっちゃ、らしい言い表し方だと思いません?
非常に便利でなじみ深い表現である一方、使い方には注意が必要です。たとえば部下に「~で、いい」と指示してしまうと、最初から妥協しているように受け取られるおそれがあります。まるでそれ以上は望まないような。余計な手出しをするな。おまえはその程度しかできないだろう。だから「~で、いい」と。
うがちすぎかもしれませんが、そんなふうに解釈されてもおかしくないんですよね。
だから最初から第一希望の「~が、いい」と伝えたうえで、必要に応じて「無理なら~でも、いい」というような、言葉を尽くしたコミュニケーションが必要だと思います。
とはいえ「最悪~でも、いい」と言葉を継いでしまうと、結局そのサイアク(サイテー)のパターンに着地することは往々にしてあることなのですが。
「~で、いいや」という妥協から「~が、いい」という主体的な姿勢へ。はっきりと意識して「が、いい」と自分の希望を外に向かって言い続けていくと、自分自身が変わる一歩にもなるでしょう。