茶屋街、と書いて「ちゃやがい」と読むんですね。大阪の梅田茶屋町のイメージがあるので、ついつい「ちゃやまち」と呼んでしまいそうになります。
それはさておき。ひがし茶屋街は金沢に来たなら一度は訪問したい場所のひとつです。金沢の駅からタクシーで10分弱、料金にして1,000円ちょっとで、江戸情緒をしのばせる情緒ある街並みに出会えます。
ひがし茶屋街の起源は加賀藩政時代の文政3年(1820年)にまで遡るそうで、二階建ての茶屋建築の建物がきれいに連なる街並みに心躍ります。
観光客の往来の集中する表通りだけでなく、1本隔てた裏通りを歩くのがまた良い。夜から開くらしい店の慌ただしさ、家からは夕餉のにおい、会話の片りんなどが見えてきます。
観光としての単なる人寄せでない、そこに根ざす人の暮らしを垣間見る。旅行する楽しみって、名物や名所を楽しむばかりじゃないとつくづく思います。
往来の風景の楽しみ、人の笑顔を見ながら歩いただけでしたが、唯一建物に入ったのが、「志摩」(9時~18時、無休)という国指定重文の建物です。入場料大人500円、小中学生300円で、上流の町人や文人が出入りしたというお茶屋さんを覗くことができます。
琴から三弦、日舞、茶の湯、和歌・俳諧に至るまで、その中でもてなす芸者も、遊ぶ客も、教養と技能が求められたという世界。
その粋を解することができるだけでもすてきと思いますが、今の時代にこの辺の余裕を持つのは、相当のお大臣(または高楊枝)でなければ難しいでしょう。
たとえ金持ちであっても、紹介があっても、一見(いちげん)の客はお断り。
これを閉鎖的・封建的と批判するのは簡単ですが、正当な商いをする、範を示す、掟を通す、そして人々の信頼を得る。今の時代にないがしろにされがちなプロセス、建物の中をしずしずと歩きながら、なんだか考えさせられてしまいました。
帰りに元来た道をたどって、ふと見上げると、周りを遮るものが何もないことに気づきます。
一直線に伸びる建物とまっさらな空。ビルだらけの狭い空の東京にいると、空を見上げる楽しみってそう感じないんですよね。
なぜこんなにも街並みが美しいのか。それはもちろん、規制・周辺の理解・協力あって初めて成り立つもの。美観を貫くってたやすいようで難しい。ビル建てたほうが効率がいいし。維持する・守るという人の意志を想像し、感じ入りました。