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コンビニチョコの味から、経験値と原体験について考えた。

気分転換にコンビニにおやつを買いに行って、いつもとは違うチョコレートを買って、会社の自席でモソモソと開けたんですけど。いやぁー、甘い、甘い。ひとくち一粒でギブアップです。

慣れとはオソロシイもので、普段からつまんでいるチョコレートに慣れてしまうと、もう砂糖全開のものが食べられません。箱の裏側に原材料名で「砂糖」がトップに表示されているチョコレートのことね。

何も甘さ控えめを推奨するってことではなく。むしろ甘いものが大好きな身だからこそ、今日の違和感はキョーレツでした。

ついこないだまで、100円のチョコレートをぺろりと平らげていたのに、我ながらなんだかなぁという感じです。カカオ比率なんてのを意識したら、そら安いチョコはないです。こういうちっぽけなところでも、以前の自分自身との食生活、おやつタイムの差を感じてしまう。

でも、「思い出の味」というのはまた別次元で。

たとえば「ヤンヤン」(棒状のビスケットに添付のチョコレートクリームをつけるやつ)とか、「よっちゃんいか」とか、「粉ジュース」とか、かつてガキの時分に愛した駄菓子なんてのは、いまだに好きだもんね。見かけても手を出さないようにしてます、またハマりそうだから。

何なんでしょう。たぶん子どものころの楽しい思い出が、年を取った今でも生きている証なのかもしれません。実際は美味しいとはいえなくても、懐かしさと思い出がコーティングされているから、当人にしてみれば味が変わらない、美味しいままのわけです。

では学生時代に食べた学食の味が、今もうまいかというと、これは違うかもしれない。年齢や経験を経た大人になって無駄に舌が肥えてしまい、もし久々に食べでもしたら「まずい!」なんてなるかもね。

子供時代はすべてが初めてづくしで、好奇心に裏付けられ、感性がピチピチ。となれば、そりゃあ、それに勝る体験はないわけです。大人になって振り返った駄菓子と学食の差は、最初の「体験期」のちがいにある気がします。同じ20歳未満でも、「児童」と「10代後半(ティーン)」の差は思っている以上に大きい。

食に限らず、映画や音楽など右脳にはたらきかけるようなものは、ハマったのが若いときほど、ずっとその人に根を下ろしたもの、原体験になる気がします。

そしてそういうものは、その人にとって色褪せない。だからいつまでも、いつまでも美味しい食べものだし、すてきな作品なわけです。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性