酒か落語で、正気を保つ。ここんところずっとそう。仕事で深夜の作業モードになると、3代目古今亭志ん朝さんの落語を聴きながら、というのがすっかり定着しています。
このブログで何度か触れていますが、志ん朝さんは「様子がいい」という言葉がしっくりくる噺家ですよね。本来の滑稽噺でも、この人が演じると大爆笑の渦にではなく、くすっとさせるような。観客もこの人の芸に揺すられる。そんな感じがします。
滑舌がいい、江戸弁が気持ちいい、きちんと、きれい、華やか(どんな賛辞もこの人の前では、なんだか軽薄な言葉になってしまう)。それはもちろんなのですが、仕草や演技がナチュラルでさりげない。映像で2回目を見て、あまりのさりげなさに驚愕したことも一度や二度ではありません。
役者が演じるときに「なりきる」と言いますが、この人の場合、あまりに自然すぎて、演技とか口演とかをも超越している気がします。
「ぶっ飛んでいる」「個性派」ではなく、「真ん中」「真っ芯」という言葉がこの人にはしっくりくる。クラシックで、噺家の良き手本になるような、いつまでも聴いていたい人です。
だから個性的な芸風や大爆笑を好む人には、もしかすると志ん朝という人は「つまらない」かもしれない。でも、それこそが観客を想像の世界にいざない、引き込む力なんじゃないかな。
今、ちょっと切羽詰まっているときなのですが、そんなつらさを志ん朝さんが紛らせてくれてます。