久しぶりにホイチョイ・プロダクションズの本を読んでみました。読んだ、といっても軽妙な雑誌コラムのテイストで、パラパラめくれる気楽な読み物です。雑学やトリビアにも、へぇとなります。
『電通マン36人に教わった36通りの「鬼」気くばり』(ホイチョイ・プロダクションズ著/講談社+α文庫/460円)
文庫化されたのは昨年2016年2月。電通といえば、過労残業自殺が尾を引いています。とうとう国まで働き方改革などと触れ回ることになろうとは。
あのね、仕事のボリュームがむしろ膨らんでいるのに、自動化やAIくん無しで、どうして労働時間が減るわけ? そこを投資せずに、人員削減して生産性向上とか週休三日とか、おめでたいにもほどがある。こうしたことを想像できないで「物心両面の幸福を追求する」とか噴飯もの。フリすら出来ないくせに格好つけるな。
ブラックな中小零細ですら、そんなふうに表向きはホワイトを装わないと働き手が集まらない。それが当たり前となり、できなければ淘汰されるだけ。本当の意味で健全な会社が増えればいいですね。
20代までに、ぼくは新聞・テレビ・出版とマスコミの仕事を垣間見てきました。24時間営業は当たり前。むしろ、時間に不規則なことが誇らしげな人も少なからずいました。だから夜中でも煌煌とした不夜城の電通とか、ADへの暴力があるテレビ局とか、そんな話は特に何も感じません。仮に今、耳にしたとしても。彼らは労働時間や労働環境的にどんなにブラックであっても、賃金や世の中への影響力、ブランド力がすべてを補っていると思うから。それに折り合いつかなくなったら、身の処し方を考えればいいのです。
だから今や悪名みたいな言われ方までされるようになった「電通鬼十則」も、「やはり稼ぐ人や優秀な人は考え方が違うし、これくらい働かないとダメなんだな」と思ったものです。
文庫まえがきで「格差社会を勝ち抜こうとする健全な野心家に向けたノウハウ本」と悪びれず宣言するあたり、いかにもホイチョイらしいユーモア。 だけれど、書いてあることは意外にまっとうです。
「服は自分のために着るものではない。得意先のために着るもの」「口が裂けても逆接の接続詞は口にしない」「宴会やゴルフには写真係を置く」など。
ここに書かれていることを突き詰めていくと、それこそ過労に陥ってしまう危険があるのかも。そうした側面はあるけど、結局のところ「どれだけ相手に寄り添えるか」というところがポイントなのではないのかな。野心があろうとなかろうと、そう好意的に解釈したいです。