「とかく暇がないのが現代人」とか、ビジネス界隈では「忙しい、暇がないという人ほど時間管理が(略)」とか、暇(ひま)という言葉はわりとよく耳にします。
好きだなぁと思う言葉で「おいとまする」という表現。今、Macで入力したら「お暇する」と漢字で出てきて、なんだかうれしくなりました。そう、これも「暇」という漢字なんですよね。
訪問先を辞去するときなどに「そろそろお暇します」みたいに使うわけです。取引先訪問のように、仕事面では今時分あんまり使わないかな。どちらかというと、親戚や知り合いなど家庭の行き来で使われていることが多かった気がします。
「多かった」と過去形になってしまうのも、使うシーンがあんまり想像できなくなっているから。中元・歳暮や贈り物を宣伝する昔のテレビCMで、風呂敷にきれいに包んだ商品を持ったご婦人が訪問先の玄関に笑顔で佇んでいる、なぁんて場面。ああいうシチュエーションで訪問して「そろそろ帰る」というときや、もっとくだけた友人・親戚宅の付き合いの行き来なんかで、口にし耳にするのが想像できます。
もう極端に少なくなりました、こんな場面。近所づきあいなんてのも、挨拶できているのはかなりいいほうで、一戸建て・集合住宅にかかわらず、顔もよく知らないなんてケースもあるそうですから。
さて、暇(ひま)という言葉についていえば。「ヒマがない」と泣き言がよく聞かれもしますが、それなら自らの自由時間や休暇をとるよう仕向ければいいわけです。
古典落語の「百年目」ほかさまざまな演目で、「暇を出す」という言葉をよく聞きます。よく商家の番頭さんがサボりがちな奉公人に対して「暇を出しますよ」と脅かし半分に小言を言う場面があります。「暇を出す」=仕事を与えない、要するにクビにするぞ、ってな意味です。
反対に「化け物使い」という演目では、人使いの荒いご隠居に対して奉公人が「暇もらいてえ」と願い出ます。「暇をもらう」=辞めさせてほしい、という意味ですね。
なんだか、いい言葉じゃないですか、「暇をもらう」って。字面といい、トーンといい。この言葉、実際に明日使うことになります。楽しみだなぁ。