大型連休の最終日、田端を散策してきました。東京・JR山手線北側の駅、山手線と京浜東北線が分岐する駅です。通った大学が文京区にあり、当日は白山から田端まで歩いてみることにしました。
田端駅周辺を歩くのは初めてで、目的は「田端文士村」を歩くこと。といってもこれは通称。実は田端、大正から昭和初期までは小説家や芸術家が多数住んでいた土地なのです。
東京美術学校(現東京藝術大学)から近かったこともあり、明治期には小杉放菴、板谷波山、香取秀真といった芸術家が続々と移り住んできました。
そして1914年(大正3年)に芥川龍之介が、その翌々年には室生犀星がこの地に転居し、名作の数々を発表します。芥川を筆頭に、菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎なども居住するようになり、さながら田端は芸術家村の様相を呈していきます。
芥川が自宅で「ぼんやりとした不安」を抱えながら自殺したのが1927年(昭和2年)。その死に強い衝撃を受けた室生犀星は、やがて田端を離れることに。そして、1945年(昭和20年)の空襲で田端は壊滅的な被害を受け、結局、文士芸術家たちは戻ることがなかった……という悲しいストーリーがあったんです。
最初に田端駅北口から徒歩2分くらいの場所にある田端文士村記念館へ。ここは北区文化振興財団が管理する、入場無料の建物です。今ブームになっている漫画『文豪ストレイドッグス』の画も展示されていました(この画だけは撮影オッケー、あとはNG)。
展示はこぢんまりとしながらも、内容が濃い印象。常設展示スペースは初版本や直筆原稿、書簡などがガラスケースに保管されていて、この地に移転してきた文士芸術家たちの時系列の年表も見やすい。なかでも、芥川龍之介の田端の自宅を30分の1スケールで再現した模型に見入ってしまいました。お屋敷ではないにせよ、相当広い木造家屋に住んでいたんだなと。
もちろん周辺も歩いてみました。模型で再現された芥川龍之介の旧居跡は、今は住宅街に。看板がひとつ立っているだけ……なのですが、その隣が北区所有の空き地になっていました。どうやら4年後の2023年(令和5年)に記念館が立つようですね。確かに今までなかったのが不思議なくらいです。
田端文士記念館のリーフレットの散歩モデルコースを参照して、この界隈を歩いてみたのですが。かつて文士芸術家たちが住んでいたであろう場所には、住宅が立ち並び、看板はおろか、その面影をしのぶ目印すらありません。
それほどまでに戦争の爪痕は大きかったということか。さすがに芥川龍之介クラスを放っておくのはあんまりだと思ったのでしょう。箱物行政は批判されがちですが、田端がもっとメジャーになるよう、作家たちの生きた証として、ぼくはあっていいと思います。
2018年に山手線・田町駅〜品川駅間に建設中の新駅が『高輪ゲートウェイ』という駅名にに決定したことを受け、山手線の駅を英語にたとえるツイートが拡散されたのをご記憶でしょうか。
山手線改め山手メトロポリタンループラインの路線図です。ご査収ください。 pic.twitter.com/Fy0DRxcqXK
— くらげ (@kurage60) December 4, 2018
そのときの田端、覚えてます? 「田端ナッシング」ですよ。思わず笑ってしまった一人ですが、正直申し訳なく、恥じています。ナッシングどころか、作家たちが愛した素晴らしい街だったんじゃないですか。実際、歩いてみても昔ながらの旧宅の街並みと、落ち着いた風情がたいへん気に入りました。
切通しの坂、東北線の回送電車が走る踏切。芥川は田端を「秋の匂いがする」と喩えたそうです。少し歩いただけですが、詩的な一節がスッと心に入ってくる。田端はそんな街でした。また来ます。