このブログで何度も話していますが。ひとつのことを好きになると、その根源・ルーツを追求せずにいられない性質です。ウイスキーにせよ、アーティストにせよ、作家にせよ、ハマりだすと直近の作品から遡りたくなるんですね。
たとえばウイスキーなら全部(全種類・全銘柄)を飲みたい。音楽なら好きなアーティストのアルバムやライブ映像を集めて聴く、観る。好きな小説家なら文庫本はもちろん、全集やアンソロジーを集める。こんな感じです。
その代わり、飽きるのも速い。飽きっぽいんですね。飽きもせず続いている趣味は、だからホンモノですね。それは趣味どころか、趣味を超越して、それなしの生活はありえない、ってことでしょ。習慣化している、日常に溶け込んでいる証左です。
だから、長年ファンを続けている、夢中になれる対象があるという人は、それだけで幸せなことなんです。枕頭の書がある、これを聴かずに1日が終われない歌手がいる、とかね。
なんだかんだ、いろんな分野を聞きかじり、中途半端に知識が付いてしまうと、「ああ、あれね」などと体験する前から胸やけしちゃったり。実際は食傷するほど知ってもいないはずですが……。あなたは対象の何を知っているの?的なツッコミをSNSで見かけもします。知ったかぶりしちゃう気持ちは分からないでもないですが、みっともは良くないね。知らないことのほうが多いと、常に自戒しています。
「ハマる」から「長く続く」へ。そうやってシフトしたいものが、自分自身たくさんありすぎるのですが。今ここで夢中になっているものは、出来るだけ長く続けたいと思っているんです。
けれども、対象が人であれ物であれ、有形無形問わず、途中でふと「興味が失せる」とか「飽きる」とか「参加したくなくなる」とか、そういう瞬間が訪れた経験ってありますよね?
それはそれでいいんです。長く続けられるほど情熱を注ぐものではなかった、ってことです。憑き物が落ちる、とでも言うのかな。
長く愛しているもの、自分に定着しているもの、自分の心中に秘めたるものは、したがって本物なのです。
日々そういうものに出会いたいし、出会うのであれば、出来るだけ若いほうがいい。でも若さゆえ、そのときは良さが判らなかったというものもあります。ぼく自身でいうなら、数多の勉強とか落語(とりわけ志ん朝さん)とかね。
ハマるときがハマりどきであり、人間、何かに取り組む、のめり込むのに早すぎることはない一方で、「遅すぎる」というのもないんです。だから、選り好みせず、まずやってみましょうね。