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「想う」の乱用に、ご用心。

「想う」とか「逢う」とか、最近めっちゃこの漢字を使う人を見かけ、違和感ありまくりだったのですが、下記ツイートが良い答えを出してくださっています。「想う」ではなく「思う」のほうを使う見解です。

さすがに新聞社です。文章書く人はあえて違う使い方をする人も含め、もう一度問い直したほうがいい。

「想」は「懸想」の想う、ですね。「思考する」の思うのほうが文章として使うに相応しい局面でも、大した考えなしに「想」を使う人が目立ちます。おそらくは、感情により深く訴えたい、あなたが私を思うより私があなたを思うほうが云々、的なことを言い表したいんじゃないかなと。

そういった思念は一字で表れるのでなく、文章から伝わるものです。端折りすぎて、あるいは強調しようとすると、想の字に邪念が宿ります。感動させてやれ、バズらせてやれという下心。「思う」にわざわざ想の字を当てるのは、ある種の恩着せがましさ、鬱陶しさがある。

「逢う」も然り。「会う」でいいんです。なぜわざわざ「逢瀬」の逢を使うの? 「会う」よりもロマンチックなイメージがあるのかもしれません。が、これも文脈によっては誇張・誤用表現となるので注意が必要です。

思いの深さを言いたい気持ちは理解できなくもないですが、感動の大安売りというか、かえって文章が安っぽく見える逆効果になりますのでご用心を。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

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Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性