「想う」とか「逢う」とか、最近めっちゃこの漢字を使う人を見かけ、違和感ありまくりだったのですが、下記ツイートが良い答えを出してくださっています。「想う」ではなく「思う」のほうを使う見解です。
なぜ新聞は「想う」を使わないかhttps://t.co/7Ghm4zxY3q
— 毎日新聞 校閲センター (@mainichi_kotoba) August 21, 2019
さすがに新聞社です。文章書く人はあえて違う使い方をする人も含め、もう一度問い直したほうがいい。
「想」は「懸想」の想う、ですね。「思考する」の思うのほうが文章として使うに相応しい局面でも、大した考えなしに「想」を使う人が目立ちます。おそらくは、感情により深く訴えたい、あなたが私を思うより私があなたを思うほうが云々、的なことを言い表したいんじゃないかなと。
そういった思念は一字で表れるのでなく、文章から伝わるものです。端折りすぎて、あるいは強調しようとすると、想の字に邪念が宿ります。感動させてやれ、バズらせてやれという下心。「思う」にわざわざ想の字を当てるのは、ある種の恩着せがましさ、鬱陶しさがある。
「逢う」も然り。「会う」でいいんです。なぜわざわざ「逢瀬」の逢を使うの? 「会う」よりもロマンチックなイメージがあるのかもしれません。が、これも文脈によっては誇張・誤用表現となるので注意が必要です。
思いの深さを言いたい気持ちは理解できなくもないですが、感動の大安売りというか、かえって文章が安っぽく見える逆効果になりますのでご用心を。