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江戸末期のマルチな財界人、高井鴻山を知る。

高井鴻山記念館

長野駅周辺の散策に続き、翌日は小布施に足を運びました。小布施は栗の名産地であり、浮世絵師・葛飾北斎ゆかりの地として知られています。長野駅から小布施駅までは約17km、所要時間は約30分(長野電鉄普通電車)です。

小布施を訪ねるのは実に22年ぶり。当時、先輩から借りて読んだ高橋克彦さんの「浮世絵三部作」がすごく面白く、そのうちのひとつ『北斎殺人事件』の重要な舞台となる小布施に行ってみたいと思ったのがきっかけ。で、長野新幹線開業に伴い、碓氷峠を通過する横川⇔軽井沢間の在来線が廃止されることを受け、どうせならその特急と併せて体験してみようと思い、1997年に松本&小布施を旅行したのです。帰路で特急「あさま」に乗ったのが、いい思い出……。いい日旅立ちですな。

当時、長野電鉄の小布施駅を降りたとき、あまりの静寂に感動したのを今でも鮮明に覚えているのですが、今回もほとんど同じ光景が目に飛び込んできました。駅を降りて徒歩10分弱、まずは高井鴻山記念館(入館料大人300円、高校生150円、中学生以下無料)へと向かいます(「高」=はしごの高)。

高井鴻山(1806-1883)は、北斎のパトロンとしても知られる豪商。小布施を拠点に江戸や京阪、北陸、瀬戸内まで商いを展開する実業家であり、一方で巨万の富を困窮者に充てる篤志家でもあり、私塾を開くなどの教育家でもある。人間としてのスケールが違う財界人なんです。

鴻山は北斎を小布施に招き入れ、それに応える形で北斎は4度も江戸から小布施を訪れています。北斎が最初に小布施に来たのは、1842年(天保13年)で御年83歳(鴻山は37歳)。恐ろしいまでに元気な北斎に、鴻山は資金やアトリエを提供。当地で北斎は肉筆画の傑作を多数残しました。

この日、記念館では鴻山が描いた妖怪画を展示していて、その絵心と詩作、達筆な文字に見惚れました。鴻山さんは自ら絵師でもあったのですね。画材が妖怪といっても、怖い絵の類ではなく、むしろ愉しげですらあります。晩年に制作されたそうで、鴻山さんの心象風景が絵のキャラクター(たとえば一つ目小僧)に反映されたのかもしれません。

鴻山が幕末の志士や文人墨客を招いて激論を交わしたとされる日本建築の2階には、一弦琴の体験コーナーが。「さくらさくら」の一弦琴用の楽譜がちゃんと置いてあるのです。試しに弾いてみたところ、案の定難しい。ヘタクソにもほどがあると思いましたが、他に見学のお客さんがいないのをいいことに、かき鳴らしまくりました。

鴻山さんの足跡に触れ、なぜ長野県が教育県としても名高いのか、理由の一端を垣間見た気がします。

高井鴻山記念館の庭から

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