2024年4月20日のツイートで、炎上しているものがネットニュースで紹介されていて、つい覗いてしまいました。
これが炎上するのが不思議でならない。むしろ痛快で、内容には全面賛成です。
下記の投稿ね。
昨日は白人のカップルが入店してきたから「日本語が分からないと対応できない」と伝えたらポカンとして「no english menu?」と英語で聞いてきたから「ない」と日本語で答えてやった。ここは日本だ。俺も英語の国に行ったら英語を喋る。日本では日本語を喋る努力をしろ。無理なら通訳を連れて来い。
— 黒かどや (@kadoya1) April 19, 2024
郷に入れば郷に従え。これを正面切って言えるのが素晴らしい。
というか今の時代、皆さん迎合しすぎていて、ビックリするくらい。
以前、英語での接客についてギモンだという話を某バーテンダーにしたら「や、英語は話せたほうがいいでしょ」と、にべもない。あれれ。
そらぁ外貨獲得、売上にかかわることだし、「おもてなしの精神で」(←嫌いな言葉)というのは、商いする立場としてはわからないでもない。
言葉が通じて当たり前と感じているところを、「そうだ、ここは日本なんだ、英語は公用語でないのだ」と外国人ツーリストに分からしめるのもまた、異文化交流なんじゃないの?
コミュニケーションがスムーズだし、結局英語で話したほうがいいじゃん――って、単に易きに流れてるだけじゃん。
日本語では時間がかかるから、つまりはめんどくさいんでしょ。
あとは敗戦国ならではの、卑屈な性根の裏返しですかね。
一方で、別のバーテンダーは「お酒の注文であれば、英語が喋れなくてもなんとなく通じるものですね。あとは身振り手振りw」と仰る。
こういう意見を聞けて安堵しました。これくらいでいいんですよ。
確かに英語は喋れないより喋れるほうがいいでしょう。それは認める。
でも観光客と見るや否や、ここぞとばかりに英語一辺倒っていうのは違う気がするな。
咄嗟に出てくる言語で補い合って、お互いが「なんとか分かるように耳を傾け、片言の現地語を喋る」ことこそ親愛の片鱗なんじゃないかな。
ギリシャを旅行したとき、レストランでも道を尋ねるときでも、とりあえずギリシャ語で「ヤーサス」と笑顔で言うようにしました。
そうすると向こうも笑顔でコミュニケーションしてくれる。
言葉って国の文化です。マイナー言語だからといって英語におもねるのでなく、マイナーだからこそ大事にしたいね。
だってここはどこの国よ、日本だぜ。
以前も似たようなことを書いたんだけど、これは繰り返し言ってもいいのかもな。