週末のヒマな時間、久しぶりにリドリー・スコット監督の米映画『ブラック・レイン』(Black Rain/1989年)を再見しました(何度目だ)。
この映画で膀胱がんを押して熱演している松田優作さん(享年39)を見るたび、あまりに早すぎる一生涯だったと思うのですよね。
優作を見ていると、「夭折」という言葉を思い浮かべずにいられません。
ようせつ【夭折】[名][自サ]〔文章語〕わかじに。夭逝(ようせい)
――新選国語辞典(小学館) 第七版
優作は満40歳で亡くなっています。
若くして亡くなりましたが、「40歳まで生きたのなら夭折とは言わんだろう」という意見もあるんですよ。
夭折した有名人や才人といえば、中原中也(享年30)、小林多喜二(享年30)、夏目雅子(享年27)、尾崎豊(享年26)あたりが個人的にはパッと出てくるのですが。
ハリウッドならリバー・フェニックス(享年23)、ジェームズ・ディーン(享年24)あたりか。
いずれの故人も成人後で、20代前半から30歳までの年齢です。
40歳で亡くなった優作は、一般的にいえば中年であり「若死に」と言わないという意見は、ごもっともなのですが。
単純に数字では数えられない何かがある気がするんですよね。
志ん朝や勘三郎などは、「早すぎる死」といえど、さすがに夭折とまで言いません。
芸がもはや至芸の域、円熟の境地に達していますから。
でも優作は、年齢的には中年であっても、まさにこれからというときに旅立った。
次は何を見せてくれるんだろう、どんな活躍をするんだろうと周囲を、見る人を期待させながら去ってしまった。
そういう意味でも、優作の死はあえて「夭折」と呼びたい。
今の時代にあえて年齢で定義する必要、ないですよ。
太く短くに憧れつつ、長寿社会で馬齢を重ねる身からすると、余計にそう思うのです。