かっこよく描くか、唾棄して描くか、はたまた実態を取材してルポにするか。
やくざの世界はあらゆる媒体で両極端に描写されがちです。
しかし筆者自らの生い立ちを交えて、やくざを切り取った作品は本田靖春(1933-2004)その人でしか書けないでしょう。
『疵 花形敬とその時代』(ちくま文庫/1983年12月・文藝春秋より単行本化)は終戦直後の混乱期に爪跡を残した伝説のやくざの評伝です(以下敬称略)。
『疵(きず)花形敬とその時代』内容
後年俳優としても名を馳せたインテリヤクザ、安藤昇(1926-2015)率いた安藤組。大幹部の花形敬は敵対する組員2人に柳葉包丁で刺され、33歳の生涯を終える。
400年続く世田谷の旧家の出で、頭もよく心もきれいな少年時代を経て、花形はいつしか暴力の世界に身を投じる。
白面で長躯、周辺の極道やあの力道山にも畏怖され、常にステゴロ(素手のケンカ)を自らのルールと課し、その強さで右に出る者がいなかったと語られる花形。
敗戦直後の焼け跡・闇市からの高度経済成長期直前にいたる東京の盛り場の背景とともに、安藤をはじめ周囲への取材で花形の足跡をたどる。
私的動機と、公平で温かい視線を隠さない
著者・本田の若かりしころの記憶、闇市からの露天商・博徒・香具師の横行と戦後復興の裏面史で3分の2弱の紙幅が取られている印象。
半分を過ぎたあたりから本格的に花形敬がどんな人物だったかに言及されています。
花形を知りたく手に取ったので正直とまどいましたが、花形が本田の2年先輩に当たる同窓(千歳中学)だったゆえ、題材になるのは必然であり、となれば自身のルーツにも触れないわけにはいかなかった。そう推察します。
暴対法が定着した今日、やくざの足跡などと切り捨てるのは簡単です。
暴力の花形と遵法の本田を分けたのは「風のいたずら」であり「良民とアウトローを分ける明快な境界線」がなかった時代、紋切り型に人間を評することをしないのが本田の報道姿勢であり、本田の優しさではないでしょうか。
ノンフィクションというより実在の人物をもとにした文学
著者の『誘拐』の紹介でも触れましたが、社会部記者の記事ではなく小説のような味わいと隠喩が随所に表れています。
下記、P.123の皇国史観を否定するため戦時の教科書を生徒が墨塗りする場面など、唸ってしまいます。
暴力が忌むべき反社会的行為であることは論をまたないが、体制が崩壊して法と秩序が形骸化し、国家権力の行方さえ定かではなかった虚脱と混迷の時代を背景にした暴力を、国民の八割までが中流意識を表明する今日の感覚で捉えたのでは、何も見えてこない。
本田靖春『疵 花形敬とその時代』(ちくま文庫)P.12-13
墨をする生徒のめいめいは、唯一無二とされていたものが虚構として葬られる儀式の小さな司祭であった。教師はそのときから、改宗を迫られた邪教の宣伝者の身へと転げ落ちた。
本田靖春『疵 花形敬とその時代』(ちくま文庫)P.123
この世界では、弱い者はまず殺されない。自ら恃(たの)むものほど命を落としやすい。しかし、正真正銘こわいもの知らずの花形は、そのことに気づいていない。
本田靖春『疵 花形敬とその時代(ちくま文庫)P.271
後にも先にも出てこない人物ゆえ、結局早く召されてしまった
花形敬という人の側にいたらフツーに怖いし、そもそも絶対にかかわってはならん人物であることは間違いありません。
けれども、時折覗かせる心根の優しさとか、降参した相手に追い打ちをかけないどころか寛大になるとか、何よりピストルもナイフも使わず己の腕1本でのし上がってきた豪胆とか、そういうものに強烈に魅了されることも確かです。
小さく丸く収まることが当たり前になった自分にとって、かつて存在した人物に郷愁にも似た憧憬を抱いたのが、本書を手にした理由なのかもしれません。
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