むかーし、駆け出し時代に自分が携わった雑誌でインタビュアーとして何度か相手=取材対象に向き合ったとき、失敗したことがあります。
昼夜問わず失敗談は数知れずですが、そのうちのひとつを。
インタビュー取材する際、相手から答えをうまく引き出せず、一方的に自分が質問して終わりのときは、まだ諦めがつくんです。
自分が準備不足だったと反省して、次また次に向かうモチベーションが上げられる。
けれども取材慣れ、話し上手な相手にもかかわらず、そのトークを鈍らせてしまうのはこちら側=聞き手の力量の問題です。
今でも思い出す失敗は、取材の初っ端で想定外のことが起きて面食らってしまい、以後グダグダになっちゃった苦い記憶。
「初っ端の想定外」とは、名刺交換して挨拶をした際に、相手がぼく自身に関心を向けてきたこと。
といっても些末なことで、「○○(ぼくの名字)さんのルーツはどちらですか?同じ苗字で〇〇教授や、似た方で○○さんなどもいますね」と著名な文化人を引き合いにされたんです。
たしかに、変わった苗字だけれども、それをネタにされるのは小学生のとき以来。
無難に返答し、困惑を抑えたはずが、以後取材対象の仏頂面は終わりまで消えることがありませんでした。
なんてこったい。
このやり取りに、たぶん大した意味はないんです。
相手としては、以後の短い時間のやり取りをつつがなく終わらせればいいし、少しだけ潤いを与えるくらいのアイスブレイクのつもりだったのでしょう。
けれど、ぼくはそれを解せなかったどころか、そのアイスブレイクに氷を投げ返すようなマネをしてしまった。
短い時間でしたけど、失った時間は大きく、未だにこうして思い出すくらい後悔し、反省しています。
うーん、自分の領域に踏み込んでほしくないんですよね。
よほど打ち解けた相手、あるいは全くの真逆に、「自分と縁遠い相手でありつつ、共通項がある人」にしか開示したくないんです。
相手が飲めればいいんだろって? 違います。
飲み会ならともかく、サシ飲みの相手はよほど「ウマが合う人」でないと難しいでしょうね。
だから自分からはめったに誘わないし、今は誘われても自分が興味なければ体よく断っちゃう。
だってめんどくさいんだもん、一人で飲んでたほうが気楽でいいじゃん。
若いときはオープンマインドでいいし、そうあるべきと思います。
見聞を広められますから。
でも、ぼくのようなアラフィフは違う。
共通言語がないのなら、オープンマインドにしても仕方ないでしょう。
オープンにした結果、それにつけ込んでくる輩もいますから。
なんでもかんでも受け入れる懐の広さはありません。
トシとると丸くなるというけど、それはある意味正しく、ある意味誤り。
丸くなりたくないときは多々あって、そこでは角張るのですよ、とことん。
あぁ偏屈だな、でもこれでいいのさ。